心の中に優しい人の存在を持つ
本日1月31日、広島いのちの電話主催の公開講演会
「人はなぜ死にたくなるのか、そして死ぬのか ~私たちはどう支援できるのか~」を聴きに行きました。
講師は、鑪幹八郎先生。日本を代表する心理学者、精神分析家、教育学博士であり、
私が学ぶ「広島カウンセリングスクール」の理事長でもあります。
「いのちの電話」スタッフの方向けに語られたので、電話口の場面を想定されていましたが、全てに通じる話でした。
ここに書く内容は、私自身が今日受けた教えを忘れないようにとどめておくためのものです。
○自分の心の中の支えがなくなる時、人は「死にたい」と思う。
自分を支える大切な人を失くした時。
自分の名誉を傷つけられ、屈辱や侮辱を感じた時。この「名誉」「屈辱」とは“外”にあるものでない、
“内なる自分の中”にある。他人がきめられるものではない。
不治の病で生きる希望を失ったとき。
精神疾患によるもの。特に自分の意思とは無縁に、「死ね」「飛び込め」といった
内面の声に動かされたとき。
○心の中に「もう死ねと叫ぶ人」がいたらどうしようもなくなる。
○黙って自死する人もいるが、「死にたい」と声に出す人は、「助けて下さい」「生きたい、でもどうしていい
かわからない」と訴えている。 (Cry for help) そういう人には「何がないのか」?心
の中に、自分を支え、見守り、認めて「それでいいんだよ」と認めてくれる「やさしい人」がいない。
「やさしい人」が心の中にいないと、帰る場所がなく、生きていくための「足元が定まらなくなる」。
家族や友人がいても、心の中は一人ぼっちで空っぽ。雪の中で寒さにふるえ、小さく丸まってしまっている。
○怒りの感情が表に出る人もいる。表面では「怒り」だが、本当は「何で自分が一人ぼっちなんだ」
「何で誰も助けてくれないんだ」と孤独の叫びをあげている。
○そのような人が求めているのは「やさしい声」だ。
やさしい声で話を聴いてもらっているうちに、消えていたり、忘れていた「やさしくされた経験」が
呼び起されてくる。
元気な時には忘れていた、「大事な人」のことを思いだす。ろうそくの灯がともるように。
○でもまたしばらくたつと、その灯が消えてしまう。消えるとまた電話したくなる。
たびたびCry for helpがかかるのはそのためだ。
○元々、心の中の「やさしい人」の影が希薄な人もいて、電話口の声を頼りに自分で
これから作っていかなくてはいけない。
そういう人に心のやさしさが取り戻されるのには十分な時間をかけることが必要だ。
○神棚や仏壇、位牌の前で亡き人と話すのも心の支えになる。大事な人のイメージが回復し、
「やさしい声」が聞こえるからだ。
○教会で神様に話すのもよい。心の中の支えになる。自分との会話になっている。
○傾聴に必要なのはテクニックより真心だ。
バレンタインデーのチョコレートに例えると、値段が高いほど喜ばれるのではない。
100円のチョコレートでも真心がこもっていればうれしい。
具体的に言うなら、電話口で「あなたが主役よ、私は脇役よ」という気持ちが伝わる聴き方をすることだ。
自死の原因は、色々な調査や研究の結果が発表されてきました。
「自死とは社会的に追い込まれた末の死」と定義されたこともありました。
が、これほど、私個人にとって“なぜ娘は死んだのか”、“死の淵にある人に必要なことは何か”
「腑に落ちた」話は初めてでした。