広島テレビ「テレビ派」で本日予定されていた放映は、ニュース枠編成の関係で
月曜日に延期になりました。<(_ _)>
広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」
自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い
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「こころのともしび」開業に向け、一昨日は家具の組み立てや本、食器などの搬入、
昨日はスタッフ全員ミーティングを行い、いよいよ6月15日の活動開始に向けた準備が整ってきました。
3月末に鎖骨を骨折した私は、つい最近まで、重い荷物を運ぶことができず、
ほとんど「がら空き」のような部屋でしたが、人が集まり、物が整うと、
一気に、魂が吹き込まれたようです。
スタッフは総勢16人になりました。
元々、福祉や介護の専門家でもない自分の思い込れから始まった計画。
料理が得意でもないのに「暖かい食事を提供したい」と言い張り続けた勝手な自分。
そんな、思い入れだけで突っ走った私を支えるために無償のボランティアとして集まってくれた方々。
看護師、薬剤師、気功整体師、占い師、中小企業診断士、調理師、グリーフケアカウンセラーなどの有資格者。
昨日はスタッフ全員を前に、思わず感極まって声がつまってしまいました。
これからはスタッフ全員、息長く手を取り合い、互いの力を認め合い、
互いの不足は補い合いながら進めていきたいと思います。
理想の形に対しては、スペースも狭く、時間も資金も限られ、まだできないことも沢山あります。
たどり着くには、時間がかかりますが、「いまの自分たち」ができる最良の形を常に求めていきたいと思っています。
先日、ある自死遺族の方が、「今日が1周忌で、、」と電話をかけてきました。
その方のお話は以前から何度か聞いていたけれど、
初めて聞く事実に、心が締め付けられるような衝撃を受けました。
2人暮らしで仲良しだった。
少し前から「うつ状態」であることは知っていて、特にここ数日、様子がよくないと思っていたが、希死念慮には全く気がつかなかった。
今日はちょっときちんと話をしようと思った矢先、目を離したわずかの間に、投身自殺を図った。
あまりにも突然で、部屋にいないな、と思いながらそのことに気づかないほどだった。
倒れている姿を近所の人が通報し、警察が来て気づいた。
駆け寄った時、まだ意識がわずかにあり、苦しんでいるところに駆け寄ろうと思ったら
警察に止められた。体に触れることさえ許されなかった。
「突き落とした容疑者」として拘束され、長時間の取り調べが終わったときにはすでに故人となっていた。
声をかけることすらできなかった、臨終に立ち会う人が誰もいなかった。
「痛がっている体をせめてさすってあげたかった。今でもあのときの声が耳を離れない」
「自死するほど苦しんだこともかわいそうだったけど、最後に本当に痛かったろうな。と思うと、それがかわいそうでならない」
深夜の電話口の声は涙で途切れました。
「ここまで細かいことを話したのは米山さんが初めてです。話せてよかった」と言われて涙が出ました。
状況は私の娘とよく似ていました。
娘は発見されたときにすでに意識不明で、その後目を開けることはなかった。
「もう助からない」と医師に告げられた時、「本人はいま、痛みを感じていないのでしょうか」と聞きました。
「ご本人は気持ちよく眠っているのと同じ状態です。痛みも苦しみもありません」
それが唯一の救いだったかもしれません。
それだけに、この方の話は「これが自分だったら」と思うと(平凡ですが)胸が張り裂けそうでした。
それにしても
自死遺族の二次被害からの救済の動きはあるけれど、
ろくな取り調べもせず、見込みでその場で拘束し、最期にも立ち会わせなかった警察の非人道的な対応。
これに対して、何のとがめもないのでしょうか。
思春期の子どもの「死にたい」気持ちが強く、何度も自殺の手段を入手しては未遂(の未遂)を繰り返す、と
訴えの電話が同じ人から何度かかかった。
様子を聞いてみると、「死にたい」という気持ちは、
今自分が置かれている状況が、二者択一しかなく、左に行くのが「正しい道」、でもしんどくて歩く力がない。
右に行くと「楽かもしれない」、でもその道を選ぶ自分が情けなくて許せない。
どちらの道もつらい。だから「もう死んだ方がいい」。そういう気持ちだという。
心療内科では「病名」はつかなかった。また、希死念慮が強いクライアントに対して、心療内科は「腰が引けている」とのこと。
客観的な大人は言うだろう。
「そんなに思いつめなくてもいいじゃないの、左の道がつらいなら無理せず、気を楽にすれば。
人生、いろいろな選択肢があるんだから。左の道で成功しなくても、立派に生きて幸せになっている大人はいくらでもいるんだから」
その声は、本人には理屈でわかっていたとしても、心には届かないだろう。
暗闇で三叉路を見つめるように、二者択一しか見えなくなり、他の選択肢にまったく目がいかなくなる。
「ダメなら生きていても仕方ない」と思い込んでしまう。
周りがどんなに「こっちの道があるよ!」と声をからしても耳に届かない。
そんな時、近親者ができることは、とにかく耐え忍ぶしかない。
まず、自宅が高層階にないこと、縄を結べそうな鴨居や梁がないことを確認した。
刃物や火の元はすべて目の前から隠すことを言った。
「とにかく目の前に自殺の手段を入手しないように細心の注意を払ってください。
お子さんなんと言われようと、手段を入手しているようだったらすぐ捨ててください。」まずそのことを話した。
「死にたい気持ちは否定したり責めたりしないで、でも断固として実行させない覚悟を見せてください。
『あなたが死んだら、どれだけ私がつらいか』、本人の心に届かないとあきらめずに語り続けてください。
時として、寄り添う人間の方が気力がなくなって、キレそうになるけど、辛抱です。
歯を食いしばっても感情にまかせた言葉を言ってはいけません。
本人の心の中には、暗い暗い穴があり、その中に吸い込まれそうになる。嵐のような衝動が襲ってきて、
その嵐に身をゆだねた方がいっそ楽だと思っているのです。
その嵐を本人以外の人間が説得して失くすことはできません。
でも、その嵐が去るときが必ず来ることを信じて、辛抱して、備えをして、時を待つしか、横にいる人間にはできないのです。」
そう言うのが精いっぱいだった。
これはすべて、私が娘にすべきだったこと、そしてできずに死なせてしまった後悔からくる思い。
本人の年齢を聞いて、青少年のメンタルケアをしている(はず)自治体の精神保健福祉窓口に相談することを勧めた。
「すぐ来て!私が子供さんの話を聞くから!」と言えない自分の自信のなさを悔しく思った。
どうか、必死の親の思いを「専門機関」がきちんと受け止めて、必要な支援の手を差し伸べてほしいと思う。
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