映画「わたしたちに許された特別な時間の終わり」
昨年末から、広島の横川シネマで公開されている「わたしたちに許された特別な時間の終わり」を12月28日に観に行き、太田監督ともお話しをすることができました。
映画の紹介は http://watayuru.com/
映画を観終わった直後の感想は一言、「心にささる」。
27歳で自死した増田さんは太田監督の高校時代の先輩でした。
高校時代に、全国ミュージックコンテストで賞を獲得し、
プロミュージシャンの道を歩もうとする増田さんでしたが、
その道は彼自身の心の病もあって、彼の理想とは大きく離れたものでした。
増田さんの歩んだ道については http://watayuru.com/sota_masuda/
増田さんから持ちかけがあり、彼の生き様をドキュメンタリー映画にするために、
増田さんと音楽パートナーの冨永さんの音楽活動と日常をカメラで追い続ける太田さん。
そのフィルムは100本にものぼります。
彼の音楽が受けいれられない客席、仲間同士のけんか、葛藤と自己嫌悪や暴言を口走る増田さんの姿。。。
時には周囲の人間さえついていけない、増田さんの心の混乱。
カメラは容赦なく「そこにある事実」を記録し続けます。
唯一のパートナー、冨永さんも、そして太田監督自身も、一片の容赦もなく、人間の弱さや脆さ、おろかさをさらけ出す姿が心にささってきました。
100本の映像は編集次第では、違う構成にもできたはず。
「なぜ、こんなにしてまで本人も当事者も追い詰めるのだろう」と思わせられます。
これは私個人の推測ですが、
岡田監督は、増田さんの自死に「許せない」思いを強く持っているのだと思います。
哀しい、寂しい、救えなかった自分への自責感とはまた違う、怒りの感情です。
増田さんにも、自分や周りの友人たちにも、増田さんを苦しめた病気や向精神薬にも、社会にも。
だから、一切の美化をせず、そこで起きたことをそのままの形で伝えているのではないかと思います。
映画冒頭、やや違和感のある映像がありますが、映画の最後でその思いが伝わります。
彼の死後に、映画を完成させるために苦しむ太田さんの姿も画面に現れます。
映画を観ながら、もし自分が増田さんの親の立場で、娘の生前の映像記録が残されていたら、
故人を貶めるかもしれない、こんなにきびしい映像を公表できるだろうか、、、、
いやできない、と思うと胸が苦しくなりました。
「私はどうしても、やさしかった娘、元気だった娘の姿だけを思い出そうとする。
病んでいった姿をつぶさに再現しても目を向けることなどできない」と思いました。
それだけに、増田さんの死後、この映画を「認め」、画面にも登場するご両親の勇気に感銘を覚えました。
100本のフィルムを両親に渡そうとしたら「自分たちではとても見られないから、映画に仕上げて」と頼まれたそうです。
特に「音楽への挫折や自己嫌悪に苦しむ増田さんの姿を撮り続けたことが、彼を死に追いやったのではないか」
という太田さんの葛藤を、明確に否定するお父さんの言葉には尊敬を感じました。
増田さんの遺書は、両親や友人への思いやりとやさしさでつづられていました。
「映画を完成させてね。できればハッピーエンドで。」
エンディングでそれが少しわかります。
自死遺族にとっては辛さの伴う映画だと思います。でも観てほしい。