広島土砂災害で子どもを亡くした母親の悔い
広島土砂災害で子ども2人を亡くしたお母さんの悔い。誰がこの一瞬の悲劇を予測できただろうか。
ただ、「あなたのせいではないよ、自分を責めないで」と肩を抱いてあげたい。
【記事抜粋】
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あの日、一瞬のできごとでした。夜中の1時くらいに雷と雨の音がすごくて。普段は2階で寝ている遥大が怖がって、家族一緒に1階の和室で寝ていました。
いったん少し落ち着いたけど、雷も雨もどんどん強くなって、午前3時過ぎに雷が落ちたような「ゴロゴロ」という音がしました。隣の家の人から「裏の山が崩れる」と電話があって、このままじゃ危ないと思い、「ばあちゃん家(ち)に早く逃げようや」と言って家族を起こしたんです。母の家が近くにあるので、避難しようと思いました。
主人は避難の準備をしていて、次男も和室から出ていた。私も妹に電話をかけるため、リビングにいました。遥大と都翔だけが和室にいました。
「今からそっちに行くけ」。妹に電話で言った瞬間、本当に一瞬でした。
土砂が家の壁ごと流れ込んできました。真っ暗で何が起きたのかわかりません。土砂と一緒に大木2本と青竹2、3本が入ってきてたことは覚えています。
「遥大と都翔を出さないと!」と思い、主人と土砂を手でかきわけて2人を捜しました。ご近所の方たちも助けに来てくれました。
土砂を掘っていると、都翔の体と頭に触れて、ドアか家具か何かの下にいるのがわかったんです。「呼吸できるスペースがあるから、大丈夫かもしれない」と思って、「骨折くらいしてもいいから引っ張り出して!」って叫びました。
遥大は捜しても見つからなかった。土砂も木も埋もれた家具も、重すぎてどうしようもなかった。掘っても掘っても土砂が流れ込んできて、どうにもならない。「遥大、都翔、返事をして!」。叫び続けました。
遥大。やっと見つかったけど。お医者さんからは、遥大の体の中にほとんど泥が入っていなかったと聞いて、苦しむ時間もなかったのかな。せめて苦しまなかったなら。
都翔は助かると思っていたけれど、振り返ると、あの土砂が襲ってきた時から、泣き声の一つもなかった。痛くなかったのかな、苦しくなかったのかなって。
■理解できない
後悔しかないです。「あのときもっと早く逃げようとしていたら」「山側の部屋を寝室にしていなければ」。ご近所の方とは家族ぐるみの付き合いで、本当にいい方たちに出会えました。それでも、なんであんなところに家を建てちゃったんだろう。そんなことばかり考えてしまって。
8月22日のお葬式に、たくさんの人が来てくれました。遥大の友達には知らない子も多くて、「こんなに愛されていたんだ」と。生きてきた11年の間に、遥大が築いてきたもの。親として誇らしかった。
夜が来ると、失った命の大きさに落胆しています。恐怖が襲ってきます。ずっと大切に育ててきた遥大と都翔がいない。わかっているけど、心では理解できない。2人の未来が失われてしまった。壊れた家なんて、家具なんてまた買えるけど、2人はもう。取り返しのつかないことになってしまいました。
【記事全文は朝日新聞デジタルニュース】