亡くなった人をいまも愛しているから「遺族」という
上智大学 岡知史教授が「専門家によるサポートグループとの違い・行政との葛藤について」という演題で講演をされました。
岡教授の言葉の中で、心に残る言葉がありました。
「身内の人が亡くなった、というのなら、多くの人が、何らかそのような経験をしているわけですね。
でもそういう人をみんな【遺族】とは言わない。
『遺族』といのは、亡くなった人がいまも心の中にいる人、愛している人。
だから、悲しいのは愛しているから。『哀しみは愛しさ』なんですね。
ですが、『いつまでも悲しんでいることがいけないこと、それは心の病気だ』
『早く忘れて悲しみから回復しなくては』と言う人がいる。
そういう人は、「いないものはいない」と考える。
「いないものを想い続けることはよくない」と考える。
はっとしました。
そうか、私は娘のことを「死んだから、もういない」と思ったことは一度もない。
キッチンカウンターの前のテーブルや棚には一面に、娘が笑っている写真や
手紙、娘の好きそうな人形やお菓子などが置いてあるし、
もうご飯は食べなくなってしまったけど、その代わりにいつも、新鮮な花を置いている。
旅行に行ったら、娘のためにおみやげを買ってくる。
毎朝毎晩、「いつも私のそばで私を見てくれていますように」とお祈りをする。
墓地には週に1回行って、ここでもきれいな花が途切れないようにしている。
私には当たり前のこと。だって、そうして、毎日娘と会話をしているのですから。
その姿は、第三者から見ると異常で、「回復できていない人」になるのでしょうか。
では「回復する」ためには、娘の写真や花を整理し、墓参りは年に何回か。
つまり、「普通の生活」に帰るのが「正しい姿」なのかしら。
私にはその方が、自分にとってよっぽど辛くて普通でない生活に思えるのですが。
2014年09月17日 17:01