がんばれば何が報われるのか
70代のお母様を自死で亡くしたAさんのお話を
聞きました。
長い年月、シングルマザーとして頑張って生きてきたお母様。「他人に迷惑をかけない」生き方を信条としてきました。
家庭内の事情がもとで心労が重なる中、お母様はがんを発症します。
Aさんはお母様の体を心配して色々な声掛けをしますが、お母様は黙っていることが多かったといいます。
しかし、お母様のがんは、主治医が驚くほど、奇跡的に回復し、
数か月後には「体内にがんの反応がなくなり、ほぼ完治し」(Aさん)退院ができたのです。
「よかったね!」と声をかけるAさんでしたが、やはりお母様から返事はありません。
マンションの4階からお母様が飛び降り、亡くなったのは退院からわずか1週間後でした。
Aさんは1年近くの間「なぜ、病気が治った直後に自死したのか」と毎日のように自問を続けています。
「もしかして、だけど。
長年の苦労や人間関係のもつれで、生きる気力を失っているときに、がんを発症して
『ああやっと、逝ける。自然な形で、人に迷惑をかけず人生の幕を閉じることができる』と思っていたのかもしれない。
なのに、『病気で死ねなくて』、もう自分で幕引きをしたい、と思い詰めたのかもしれない。
母は、人に迷惑をかけないことを何より信条にしてましたから、
『多くの人に迷惑かけて長生きするより、まだ自分で自分の体を動かせるうちに自分で命を絶ちたい』と。
発作的にそう思ったのかもしれない。」
長い時間話し合った後、Aさんはそんな推測の結論を絞り出していました。
もし、Aさんの推測どおりだとしたら「人に迷惑をかけない」人生の結末として、あまりに悲しい。
人は、苦しければ苦しいほど、乗り越えた先に「何かいいことがある」ことを期待してしまう。
Aさんのお母様には「がん」を乗り越えた先に、何が見えていたでしょうか。
「人に迷惑をかける老後」しか見えなかったとしたら、あまりに悲しい。
Aさんの「なぜ?、なんで?」は簡単に終わらないのでしょう。
私は娘の直接の死因を知っているようで、やっぱり「なぜ?なんで?」と思ってしまう。
多くの自死遺族が、そう思っている。そしてその答えを暗闇の中で問いかける。答えてくれない人に向かって。