どんな「数年後、数十年後の再会」を考えていたんだろう
来年早々、大学時代の友人が集まる機会に、墓参りに行こうと思う、というものだった。
ありがたさが胸にこみあげた。
他県にいる人がほとんどの仲間たち。
短い時間の中で、わざわざ墓地に足を運んでくれるという。
今も、娘との再会のために時間を作ってくれるという。
かけがえのない友人に恵まれた、と改めて思った。
話しているうちに、娘が大学時代にミクシィをしていた、ということを教えてくれて、
(私は知らなかった)
いくつかの投稿の画面をコピーして画像にして送ってくれた。
その中で大学卒業の時の投稿。2009年。
「またみんなに会えるといいな。
それが来月でも来年でも、何年後でも何十年後でも、実現すれば「またね」は嘘じゃないよね。
みんなの新しい日々が、温かい気持ちに満ちたものですように。
願わくば、人生の新たな舞台で存分に輝きますように」
何年後も年十年後も、そのときの自分でまた、仲間と会うつもりだったんだよね。
そのとき、そのときの仕事や結婚や出産や、子育てや、
もっともっと先に、孫のことやら、そんなことを話すことを考えていたんだよね。
こんな再会を考えていたんではないよね。
他の投稿を見て、改めて
親があきれるほど、ポシティブ思考で、楽天的な性格だったと思い出した。
改めて、
娘の短い人生の中で、短い年月でも、充実したときと人間関係に恵まれた時間があったことを思った。
改めて
何が娘を変えてしまったのか。
うつを患い、わずか3か月で自ら命を絶つような結果になってしまったのか。
あきらめ始めていたけど、やはり、知りたい。と思った。
2015年12月14日 21:57