心にとどめておこう、この手の平の感触
その人は泣いていました。
始めはすすり泣きで、やがてしゃくりあげながら。
乗り越えたい、乗り越えなくてはいけない壁がある。
元気ならば、ほとんど意識することなく、ひょい、とまたいで渡れる壁が、どうしても越えられない。
越えられない自分が情けない、悔しい。
越えようと思うと、訳もなく怖くて、うずくまって泣けてしまう。
始めはそっとしておく方がいいのかと、声をかけませんでしたが
あまりにも辛そうなので、「どんなん?」と声をかけました。
細い肩、やせた背中が震えていました。
「がんばれ」とも「無理しなくてもいいんじゃない」とも、何も言葉にすることができない私は背中をさすり、手を握り、胸にトントンと手を当てながら
「子どものときのように声をあげて泣いていいんだよ」と繰り返すだけでした。
不思議な感覚が記憶によみがえりました。
色々なことでつまずいては泣き続ける娘たちをよく、こうして、さすったりなぜたりトントンとしていたこと。
自分自身も昔、泣いていると、母が抱きしめて背中をさすってくれたこと。
どれくらいそのようにしていたでしょうか。
その人は少し気持ちが落ち着いて、「気持ちを切り替えます」としばらく1人でいて、帰りました。
その後、その方からは壁を乗り越えることができた、と報せをもらいました。
「よかったね!」喜びと共に、背中をさすっていた短い時間によみがえった、
懐かしく温かい、私自身にとって大切な記憶を、忘れないでおこう、と思ったのでした。