分かち合いは筋書のない、アドリブ勝負
今月は、9日に「こころを休憩する会」15日に「自死遺族の希望の会」16日に「福山つゆ草の会」同じ日に「精神科医のこころの相談会」が続けてありました。
それぞれ、色々な方が集まる企画なので、手違いによる失礼があってもいけないし、
特に分かち合いは、来られた方が様々な想いをいっぱいいっぱいに抱いてこらえるので、
1人1人が、異なる想いを語りながらも、1つでも共通した想いが分かち合えてこその「分かち合い」。
いつも薄氷を踏むような緊張感でこの2週間を過ごすのですが、無事に終わるとほっとします。
最近、つくづく思うのは、
同じように会を営んでいても、いつも細かいことでも反省点に気づき、修正していかなくては
いつのまにか主宰者のひとりよがりの会になってしまう、ということです。
ときどき、参加者から会の後にきびしい意見をもらうこともありますが、真摯に受け止めて、
ひとりよがりにならないよう、他の会のよいところを見習うために学びを続けようとも思います。
分かち合いではときどき、
予想もできない、信じられないような人生の悲劇を目の当たりにして、言葉が何も出ないこともあります。
そんなときにはご本人が「結局話すだけで、誰からもよい助言がもらえなかった」と思いながら帰宅されているのでは、と無力さを感じることもあります。
どのような想いがこの場で語られるか、予測ができない「筋書きのないドラマ」。
本当に本当に、色々なことが毎月あります。
今月はボーナスのような祭日が月曜日にあったので、
すっかり力を抜いて、1日家で過ごし、愛犬とたわむれました。
緊張がだいぶほぐれました。
また、明日、来月に向けてがんばります。(無理なく(笑))