母の急逝
先週月曜日、静岡に住む母が急逝しました。誤嚥による窒息でした。
86歳で年齢なりに心身に衰えはあったものの、
病気も認知症もなく、父亡き後は淡々と静かに毎日を過ごしていました。
正月に帰省したとき、嚥下の動きが悪くなっていて、時々食べ物が食道内に詰まって苦しいということは知っていましたが、
まさかそれが急な死の直接の原因になるとは予想していませんでした。
近くに住む姉から電話を受けて、大急ぎで支度をして新幹線に飛び乗ったけれど、
病院にかけつけるまでに6時間。着いたときには、全てのことが終わっていて、
母は、生前のお気に入りだったブルーのジャケットを着て、眠るように横たわっていました。
時間距離は残酷だ。
どんなに焦っても、新幹線のダイヤ以上に距離は縮めることはできない。
名古屋で乗り換えて、途中駅をのんびりと停まりながら進む「こだま」を恨めしく思ったのは初めてです。
時間距離は私と母とのこころの距離をそのまま遠いものにしていました。
帰省して声をかけると「パパはいつもやさしかった。いつも幸せだった」とつぶやくばかりだった母を見ても、「仕方ないか」程度にしか考えなかった。
電話しても同じことしか言わない。それが気重で、「電話をかけても話すこともないし」と言ってさけていた。
姉からの時々の電話で母の認知の衰えを相談されてもあまり深刻に受け止めたことがなかった。
東京に出かけることがあっても、面倒くさい気持ちがどこかにあり、静岡に途中立ち寄って顔を見ることもしなかった。
いつも突然やってくる「死」は、遺された者に、重い問いかけを残します。
「なぜなんだろう」「どうしていたらよかったんだろう」「違うことをしていたら違う結果になったのだろうか」いつも答えは返ってこない。
教会での前夜式、告別式までの中途半端な時間を、私は母が最期に座り、
そこで息絶えたお気に入りのリクライニングチェアに座り、
本を読んだり外の景色をぼんやり見ながら1人過ごしました。
そのとき、母がこの椅子で座りながら、父が玄関で呼ぶ姿を見たのでは、とふと思いました。
せっかちだった父が、「おい、まだか、なかなか来ないから呼びに来たんだ」とせかすように呼ぶ姿がふと脳裡をよぎりました。
のんびり屋だった母が「あら、ごめんなさい。いますぐ行きます」と立ち上がって答えたような気がしました。
いまは、大好きだった父や孫娘の歩美と天国でゆっくりと過ごしていることを祈ります。