広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

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辛さや不安は本人の尺度でしか測れない

先週、目が痛いので眼科の診察を受けたのですが、
偶然、目の痛みとは別に、検査結果から緑内障の疑いが指摘され、
今週精密検査を受けた結果、中期の緑内障であることがわかりました。

緑内障とは、中心視力で見える視野の範囲が白濁して失われていき、視界が狭くなる病気です。
私の両目は、視野の上半分がすでに失われている、という結果でした。

緑内障の「視野が失われる」とは光を感じ取れなくなる=暗黒 というのではなく
例えると、今の自分の視野の上半分に白い遮光カーテンがさがっているような状態。
コンタクトレンズに例えると「レンズの上半分の白濁汚れのために、全体的に物の輪郭がぼやけて見えている」状態。

ああ、病状が悪化すると、視界全体に遮光カーテンがかかって真っ白になるのだろうか、、

全く自覚症状がないまま、ここまで進行していたことや
失われた視野の回復はできず、今後はこれ以上の進行を食い止めるための治療が必要だということ
(つまり、治療をしないと、失明までいってしまうこと)など、
予期していなかったことが突然やってきたため、心がとても動揺し、落ち込みました。

「緑内障の9割は自覚症状がないまま進行し、気が付いた時は手遅れの人が多い。
偶然、今の時点で見つかったことはラッキーだったよ。今から治療すれば失明する可能性は低いからね。」
とやさしい眼科医に励まされ、
「ともしび」の人々にも、知り合いの緑内障の人が、ふつうに日常生活を送っていることなどを教えてもらい、
随分力づけられました。

でも、それでも。
1人の時間には気がつくと、今後自分の目がどんなふうに悪くなっていくのか、失明しないのか、失明までいかないにしても、進行したら「あれもこれももうできなくなる」「ほとんど社会生活が不可能」と黒雲のように湧いてくる不安を抑えることができません。

ネガティブスパイラルに入っちゃだめ、前向きに治療に取り組めば大丈夫、と励ます自分の声もあるけど。
この程度の病気でめげてはだめ。もっと苦しい想いを抱えている人はたくさんいるんだから、と自分を戒める気持ちもあるけれど。
全部わかっている、わかっているけれど、すぐにはそのすべてをすんなりとは受け入れられない。

自分の身を振り返って、改めて、困難な気持ちになった人への声掛けの難しさを実感しました。

良かれと思ってかけられる励ましの言葉でかえって傷つくこともある。。。。
他人には「大したことじゃないよ、よくあることよ、気にしない方がいいよ」と思えることもその人にとって、辛いことは辛いし不安は不安。
辛さや不安には客観的な尺度はない。本人にしかわからない。。。。。

カウンセリングで何度も教わったことを自分自身で実感する日々です。


 

2016年12月04日 16:02