「どうして広島東洋カープはこんなにも人生そっくりなんだろう。」
広島カープのリーグ優勝が決まってから1か月、多くの「カープ本」が書店に並び、優勝までの道のりを多くの方が語っていますが、その中で、私がじ~んとして、「そうだよね、そうなんだよね」と思った文章が
「Number」911号「広島優勝特別号」の西川美和さんの巻頭エッセイでした。
全文を紹介したいのですが、一部を少し引用します。
『どうして広島東洋カープは、こんなにも人生そっくりなんだろう。』
「(球団の)重苦しい歴史こそが、「愛される物語」としての旨味を増させ、地元以外にも伝播していくことになった。(中略)この地方球団の優勝までの道のりを全国が温かく見守ったのも、人を惹きつける強い物語性があったからだ。
しかし、「ついに物語が結ばれる」のは昨シーズンの話だった。(中略:黒田投手、新井選手の復帰、前田健太投手の最後の年)15年続いたBクラスを脱出し、二年連続CS進出からの三度目の正直。物語の駒は完璧にそろったのだ。
こんな奇跡がめぐり合わせた年。金環日食?ハレー彗星?とにかく今年を逃せば優勝はない、と熱に浮かれたように始まった2015年。しかし大きすぎる期待は大きく空を切ることになる。
また、23年待たされる_ と天を仰いだのは10月7日の最終戦。(中略)優勝ばかりか三位も取り逃がし、音もなく幕は閉じた。見上げれば彗星の尾っぽはどこにもなくなって、空はまた真っ黒く塗り固められていた。
どうしてカープはこんなにも人生そっくりなんだろう。ミスを繰り返す。チャンスは生かせない。
不甲斐なくくすぶり続けても泣きつく場所もない。そんな自分を重ね合わせて泣いてしまいそう。
けれど、全国で赤いユニフォームを着る人々もまた、がんばれがんばれカープ!と叫びつつ、
自分自身を奮い立たせているではないか。
なぜなら、凡そ人間は本当は「持って」などいないし、どんな立場であれ、
自分の弱さに歯噛みしているからだ。
そして人生はやはり、物語のようにはいかない。さよならマエケン。ありがとう黒田さん。私たち、次の夢を見るまでちゃんと生きていられるかしら、と塩辛い喉をごくんと鳴らした。
しかし、彼らは物語を続けようとしていた。(中略:カープの今年の快進撃はファンの皆さん、ご存じのとおり)
「物語」は在るものでも、出来るものでもない。必ず人がつむぐものだ。神様は降りてきたりしない。人間が手を引っ張って、連れてくるものだ。(中略)どんな優勝にも必ず語られるべき物語はあるはずだ。けれど25年ぶりに私たちが胸に焼けつけたのは、9回裏3アウトの瞬間ではなく、常に指揮官の両隣に建って声を出し、身体を張り、若手とベテラン、投手と野手の壁を取り払い続けた41歳と39歳のおじさんが抱き合って子どものように泣いている場面だった。
神は、彼らが自分で連れてきたのだ。ありがとう。ぼくらのカープ。」
全文を読みたい方はぜひ 書籍で http://number.bunshun.jp/articles/-/826497
全国12プロ野球球団に多くのファンはいますが、1つの球団と自分自身の人生と重ね合わせて物語をつむいでいくファンの数はカープが一番だ、と思ってしまう私です。
そして、私もまた、そんな物語に自分を重ねる1人であります。
昨年のくやし涙がなかったら(そしてそのくやし涙が自分自身と重なって胸に迫るから)、今年、これほどの喜びはあったでしょうか。
神様からもこんな言葉があります。
「涙と共に種を蒔く人は喜びの歌と共に刈り入れる。 種の袋を背負い、泣きながら出ていった人は
束ねた穂を背負い喜びの歌を歌いながら帰ってくる。」(旧約聖書詩編126編)