小さな一言で不安が渦巻くこともある
自分の心の中が一杯いっぱいになって、なんとかバランスを保っているときに、
ちょっとした出来事や一言で、それ自体は小さなことでも爆発してしまうことってありますね。
その内面を知らない人から見ると、「あんな小さなことで『いきなりキレて、一体どうしたの』」ということが起きます。
私自身にもあります。特にそれが、人の「ちょっとした一言や行動」に関わるとき。
そんなときって、目の前に起きた、「小さな出来事」をそのままの大きさでは受けとめられなくなる
「この言葉や行動は、表向きとは別に、真意は深い悪意にあるのではないか」とか
「真意は自分のことを嫌っているからではないか、意地悪されているのではないか」とか
「自分が気が付かないところで、相手を深く傷つけてしまったのではないか」とか
「同じことで『みんな』が本当は自分を嫌っているのではないか」とか
「いつか、それが膨らんで色々なことがだめになるのではないか」とか。
頭の中で、見えない不安が、あっという間に、どんどん積乱雲のようにふくらんでしまって、
他人にどう言われても、その不安から逃れられなくなる。
そんな不安の多くは、時間がたって外の状況を見ているうちに解消するのだけど、
もし、そこで目と耳と心を閉じて、外の状況に目を向けることをしなくなったら。
そのときが本当に怖い。
不安や恐れが強い時こそ、勇気を持って、外の状況を見なくてはいけないのだと、念じてはいます。
私の好きなマザーテレサの名言に
他人に裏切られても、馬鹿にされても、悪口を言われても、はしごをはずされても気にせず迷わず「最良のこと」と信じたことをしなさい、
『最後に振り返ると、あなたにもわかるはず、結局は、全てあなたと内なる神との間のことなのです。
あなたと他の人の間のことであったことは一度もなかったのです。』
という言葉があり、そのようにありたいと思っていますが、やっぱり凡人ですから他人の一挙一動に一喜一憂してしまう。
そんなことで悶々していたのですが、ふと思いました。
「マザーテレサの言うことがその通りできたら、そりゃ、ノーベル賞ももらえるわ」。
凡人の頭を引きずりながら、毎日生きていくしかないね。とブログで愚痴つつ。