色々な形で生まれる自死遺族同士のつながり
先日、某市の精神保健福祉課のお招きを受けて、
その市が開いている自死遺族の分かち合いに、ゲストで参加しました。
30分くらい、小さな一歩の活動や、自死遺族としての米山の想いなどをお話しをし、
その後、遺族の方々と分かちあいの席を囲みました。
私は初めてお会いする方々ばかりですが、その会には何度か参加している人が多かったので
最初は、手探りで話合いが始まったのですが、
だんだん打ち解けてきて、話も涙も惜しみなく分かち合うことができました。
気が付いたら当初予定の1時間を大きく超え、2時間の分かち合いになりました。
その市の分かち合いは、遺族の設立ではなく、市の担当者が司会進行をしています。
ときどき、参加する遺族が少なく、分かち合いとして成立しないことがあり、
広報に出して、問い合わせで「遺族の方は何人ぐらい来られるのですか」と問われても
確信を持った答えがだせない。
担当の方はそのことを悩んでいました。
しかし、分かちあいの最後に参加者から
「私もなんかの形でお返しをしたいと思っていたので
私が参加すれば遺族同士としての分かち合いが成立するなら、毎回参加してもいいですよ」
と最後に申出があり、担当者の方も、そこに同席していた遺族も大歓迎でした。
遺族が作る自助グループもありますが、
このような形で“自助的なグループ”が生まれ、遺族がより参加しやすくなるといいな、と
気持ちのよい想いで会場を後にしました。