想いを吐き出すことの苦しさとふりかえり
以前、電話をかけてきては、長時間自分の辛い想いを語る方がいました。なるべく、途中で話をさえぎったり、私の考えを差し込んだりせず、思いのたけを聞くことにしていましたが、
あるとき、
「米山さんに心の内面をさらけ出すと、かえって、閉じ込めていたものがいっぱい出てきて
そのあと、すごく苦しい。誰に話を聞いてもらっても、話をすると苦しい。
どうしていいかわからない」とメールで訴えてこられました。
どうしたらいいのかわからず、その後も電話がかかるのですが、出ることができませんでした。
私も月に1回、「こころのともしび」の指導をいただいている塩山先生に個人カウンセリングを受けています。
自分自身も、カウンセリングの後、同じ苦しさを感じることがあります。
話したからといって、解決がつくわけでない課題。
「人に言ったからといって、結局自分自身で何とかするしかないことをなんで言うんだろう」
「どうにもならないことは、心の中に押し込めて、淡々と、解決のために行動した方がいいのに」
と、自分が吐き出した言葉が、目の前の宙で浮いていて、その宙ぶらりんになった自分の心のおさまらなさに落ち込んでしまいます。
でも、少し経つと「そんなことを打ち明けてしまう自分がいること」を意識するようになります。
自分の中にいる、「泣き言をいう自分」や「心の奥にとどめていた『どうしようもない』想い」を
発見して、「ああ、自分って、こんな人間なんだ」と思ったり。
弱い自分、解決つかない想いが目の前にさらけだされることは、きつい。
でも、それは、そんな内側の私自身が
「この存在を無視するな!いい恰好するな!立派な人間になろうなんて思うな!」と主張しているからなんだ。
そんなふうに思うようにしています。
葛藤はなくなりませんが。
2015年10月13日 11:46