クリスチャン自死遺族の分かち合い「ナインの会」
クリスチャンの自死遺族11人が全国から集まり、分かち合いと慰霊礼拝を行いました。
分かち合いで、久しぶりにファシリテーターの役割でなく、一遺族として自分の想いに向き合いました。
病院のICUで看護師の制止を振り切って、牧師とともに讃美歌を歌った瞬間、
苦しみ、悲しみ、辛さを抱えて突然、自分の命を絶った娘の魂が天国で救われる思いがしたこと、
それがきっかけで教会に行くようになったけど、それでも自分にふりかかったことが納得できず、
「神様、私をこのように苦しめるために娘を召されたのか、
ならばなぜ私自身を傷めつけなかったのか、なぜ娘の死を与えたのか」と神様を恨んだ日々、
神様は私にどうしろ、どう生きろ、と言われたいのか、と考え続ける日々だったこと。
その葛藤と祈りの日々から「小さな一歩」を始めたこと。
それが正しい答えなのか、今もわからないけど、わかるまでこの道を歩むしかないこと。
その答えは私が天国に行き、もう一度娘と会えるときにわかること。
そんな思いを吐露しているうちに、久しぶりに素直に涙がこぼれました。
亡き人をしのぶ思い、自死遺族としての人生への向き合い方はさまざまで、
信仰を持っている人、持っていない人、キリスト教、仏教、神道、イスラム教、、、
何が正解ということはなく、それぞれが最も向かい合いやすい形を模索する道。
それが自死遺族として生きる道なのか、と、考えながら帰路につきました。
2015年07月21日 19:40