心に抱いていたことはこのことだったかもしれない
昨日(7月12日)、「こころのともしび」に来てくれたAさん。
かれこれ、1年間、週に1回、お話しをしにAさんのお宅に行っていました。
心因性の難病で、自宅から出られないAさん。
在宅福祉の「手」は届いているけど、「会話をする」相手や時間が極端に少なく、
このままの状態でいると、「言葉を出す」ことができなくのでは、と不安を抱えている。。
でも、難病が原因で、外出することも、初対面の人といきなり会話をすることも不安で一歩が踏み出せない。
でも、外に出て、「人と会いたい」「人と話したい」。
そう言い続けてきたAさん。
「少しずつ馴らして、恐怖感をなくして、同じ気持ちを分かち合える人と話せるといいね」
と言いながら、時を待っていました。
昨日は、「まず外出して初めての場所にたどり着き、そこで落ち着いて座っていられるまでやってみましょう」と迎えに行ってお連れしました。
他のスタッフもいましたが、無理に話しかけることはせず、20分くらいソファに黙って座っていたAさん。
帰りの車で、
「どうでしたか?」「ゆっくりできる雰囲気だったので緊張してパニックになることはなかったです」
「また来てみる?」「はい、大丈夫そう」とAさんの表情がほころびました。
「次は少しお話をしてみますか?」「はい、ぜひ」
「こころのともしび」がAさんにとっての、大きな小さな一歩になってくれることを祈ります。
ここで気づきました。「こころのともしび」を計画し、イメージしていた時に、
いつもAさんのことを思っていたことを。
誰よりも、Aさんに来てほしいと思っていたことを。
マザーテレサは言いました。
「100人を助けることはできなくても、1人ならできるでしょ。」
“助ける”なんておおげさなことはできないが、
いっぺんに100人に寄り添うことはできないが、1人への寄り添いが100回できるといい、とは思います。