死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも人を動かす
小さな一歩の仲間である、自死遺族の学生、Aさんが「自死遺族支援」をテーマに卒業論文を書く、というので私も総時間4時間くらいのインタビューに協力しました。
Aさんは私の他の自死遺族や行政の窓口担当者にも丁寧に時間をかけてインタビューをし、がんばってまとめていました。
私のパートだけ見せてもらったところ、ほとんど「自死遺族の生の声」をそのまま忠実に論文にまとめてくれていました。
同じインタビューでも、このように息遣いが聞こえるような記録になってみると我ながら自分の言った言葉に驚きましたが、、、
Aさんの卒業論文は大学内で高い評価を受け、
100人を超える同じ学部の学生の中から2人しか
選ばれない「優秀論文賞」に選ばれたそうです!
本人から喜びの連絡をもらって、思い出した言葉があります。
私が「小さな一歩」を始めようと思った原動力になった文章であり、
心が折れそうなときに、心の引き出しから取り出して思いを新たにします。
その一節
「人は死んで完全なものとなる。
なぜなら、死んだ人の命の意味は死んだ人本人によって決められるものではなく、
生き残った人たちによって与えられるものだからである。
生きている人はぼくたちに向かって「そうだ」とも「そうでない」とも言ってくれるが、
死んだ人は何も言わない。だからこそ、死んだ人はすべてを生き残っている人に託している。
生きている人は、死んだ人のすべてを受け取るように死んだ人から期待されているのである。
それだから、死んだ人はしばしば生きている人の誰よりも、人を動かす。
生きている人に応えようとして動く人は少ないが、死んだ人に応えようと動く人は多い。
なぜなら、生きている人の命は生きている人本人のものだが、
死んだ人の命は、生き残った人たちのものだからである。」
(「知らされない愛について」岡 知史)
故人への強い想いがAさんを動かし、Aさんに協力した周りの人の心も動かしたのだと思います。
何より私がそれを感じていました。
Aさんの素晴らしい論文の後ろにいる、今は亡きAさんのご親族。
「よくがんばったね、ありがとう」と微笑んでいることでしょう。