広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

脳腫瘍で余命半年の宣告を受けたアメリカ人女性が、自死の予告をし、
11月1日に医師が処方した薬で「安楽死」をとげた、という事実が世界中で論議を呼んでいます。

「NHK NEWS Web」がこのことをまとめています。

賛成する立場の人は
延命の可能性がなく、今後に「耐えられない苦痛」の中で死が訪れる」より
人間らしい死を選ぶ権利が本人にある、と考える。

反対する立場の人は
この女性の心身の状態がまだ「耐えがたい苦痛と延命治療以外に手がなく、死期が迫っているところまではいっていなかった」ことをあげて、
これは尊厳死や安楽死にあたらない「自死」である、と考える。

どちらだろう、、、絶対的な答えはない。

でも、気になることは「人間らしく生きる可能性がなくなった人が死を選ぶのは安楽死」
という考え方。

「人間らしく」の定義は何でしょう。これが拡大解釈されていくことが怖い。

重い認知症や重度の精神疾患で「人間らしい言動がなくなったら」。。。
難病や末期がんで治癒を望むことができなくなったら。。
事故や病気で寝たきりになり、全く動くこともできなくなったら。。。

その人の考えで「もはや人間らしく生きられない」と判断したら「死ぬ権利」が許されるように拡大されていくことが怖い。

なぜならそこに周囲や世間の思惑や事情がからみ、
「人間らしく生きられなくなった自分は、周りに迷惑をかけながら生きていく価値がない」と
本人が思いつめる状況に追いやられることもありえると思うから。

この女性の夫や家族とはどのような話し合いがあり、どのように決断し、看取りをしたのかが気になる。

本当に延命の可能性がゼロで、痛みと苦しみが100%伴う死を迎える、という診断だったのか。

私だったら、いかなるお金と方法を使っても終末期医療で緩和ケアを受け、
命の最後の灯が消えるまで寄り添うと思う。

そうでないと、遺された人々は、必ず後悔すると思うのです。
 

2014年11月04日 19:58