今日も明日も変わらぬ1日なれど
「メリークリスマス!」「明けましておめでとう!」の言葉が飛び交う時期が自死遺族にとって辛いのは、世の中の「めでたいご唱和」と自分の悲嘆のギャップに苦しむからだけではありません。かつては、何度も自分自身がこの時節に、大切な人と、楽しいひとときを送っていた記憶が蘇るきっかけになってしまうから。
「サンタさん」のプレゼントは何を贈ったら喜ぶだろう?と考えて枕元に置き、
次の日の朝、「サンタさんからきたよ~」と喜んで起きてきた姿を思い出す。
みんなで紅白歌合戦を見た後、神社に初詣に行き、近くのコンビニで買った暖かいドリンクをポケットに入れて、つまらない冗談でなぜか大笑いしながら並んだことを思い出す。
年末年始に楽しい思い出がたくさんあればあるほど、大きな辛さで返ってくる。
でも世の中で生きていくためには、「おめでとう」に合わせなくてはいけない年もある。
だから「小さな一歩」は明けましておめでとう、とは言いません。
年賀状も出しません。いただいた方には申し訳ないのですが。
今日、事務局に2人の方からお手紙が届いていました。
1人は自死遺族の方からの想いを綴ったお手紙。
分かち合いにも参加されている方ですが、ふだんはあまりお話をされないので
深くつらい思いを綴られた文章に接し、改めて「今まで十分お話を聞いてなかったのだ」と後悔しながら読みました。
亡くなられた方も、我が娘と同じようにがんばってがんばって明るく生きていたこと、
それだけに、心の中にある苦しさにもっと寄り添って「そんなにがんばらなくていいんだよ」って楽にしてあげたら救えたのでは、と悔いておられること。
改めて知り、本当にその通りだったと胸が苦しくなりました。
受験シーズンに向かうこれからの季節も「頑張っていた子どもの姿を思い出して辛くなる」、その通りですね。
ご自分も自死防止に何か貢献したい、と結んでありました。
Sさん、ありがとうございます。
先日、教会で聞いた話。
私たちの人生は生まれてから死ぬまで、長い旅路をたどる旅人なのです。
旅の終わりである天国にたどり着くまで、人生という旅は続く。
私たちの旅路はいま、「小さな一歩」という道の上にあって、とぼとぼと、それでも昨日よりは一つ、歩みを進めている。
そして、最後にたどりついた門の前に、きっと、一番会いたいと願う人が迎えに来てくれる。
私がこのことを思い浮かべるとき、なぜかいつも同じ娘の姿が目に浮かぶ。何年か前に街で買い物をするために待ち合わせた時に、駆け寄ってきた娘の顔、髪、服装、声。。。
きっとその姿で駆け寄ってきてくれるだろう。
Sさん、そのようなものです。それぞれの旅路を歩きながら、時には寄り添える人でありたいと思っています。
もう1通の手紙。娘の高校時代の友達からの長い手紙。
読みながらたくさんの想いがこみあげて泣きました。
長文になるので、次のブログにしたいと思います。
2014年01月02日 12:30