生死に対する「自己決定」
先週の26日、大阪府人権協会主催の
「2013年度自殺防止サポータースキルアップ講座」の2日目を受講してきました。
午前の講義でNPO国際ビフレンダーズ大阪自殺防止センター 所長 深尾泰さんが「自殺と自殺の現状、自殺防止活動」という題で講義をされました。
率直なところ、以前から出席していたセミナーでも資料として見ていた「自殺統計」だったので、
既知の事実を改めて解説し、確認させていただいた、という内容ではありましたが、
最後に出された「国際ビフレンターズ憲章」の一文が深く胸を打ち、また、考えさせられるものでした。
「◇自己決定 Self-Determination
・コーラーは自分の命への責任を保持しており、たとえその決定が自分の命を取り去ることであっても、決定をくだす権利を失わない。(この項の実際の適用は、センターが在る地域の状況と法体系に左右される) これは自殺を是認するものではない」
講師の先生自身が、電話相談の現場で、「自分は死ぬことは決めているが、最後に誰かに話したい話を聞いてもらって、自分の魂が救われた」と言って電話を切られたことがあったそうです。
とても気がかりだったけど、名前や電話番号を言わなくていいルールのため、気になりながら連絡することができず、心残りだった、とお話されました。
もちろん、自死を認めるのではないが、「最後に自分の生と死を決めるのは自分」
。
私はこの考えに対して否定はしない、でも自分自身が納得するまで整理できていない。
自死遺族にとって、一番つらいのは自責の念だと思います。
状況から見て、99%止められなかった自死であっても、1%のチャンスがあったのに、自分がそれをしなかった、そのチャンスに気づかなかったから自死が起きた。だから自分が悪い。
多くの自死遺族がそうであるように、この想いから、私も離れられません。
娘は、自分の意思で、「死ぬ権利を行使した」と思えるかどうか。
もし、娘といま語ることができたら、何と問いかけ、何と答えが返ってくるだろう。
「自分にも死ぬ権利があった」と言われたら、どう答えるだろう。
答えは出ないままです。きっといつまでも。