こころの内側を「すべて言葉にする」むずかしさ
傾聴やカウンセリングで「こころを開いて、胸の中の想いを言葉にする」ことは、心を開放し、整理するためにとても大事なこと、、と言われています。
事実、ゆっくりと時間をかけ、話の途中で遮られたり、話の腰を折られたり、聞き手の意見を差し込まれたりせず、自ら、胸の内にある辛さ、悲しさ、怒りの感情を、素のまま口にして語ることによって、自ら、苦しんだり葛藤していることは何か、望んでいることは何かに気づく。それは間違いではありません。
ただ、時々、思うことがあります。
「心の内を全てさらけだすこと」。私たちは本当にそれができているのでしょうか。
無意識に、聞き手が反感や不愉快な想いを抱かないこと、「このような感情を持つ自分」が軽蔑されたり、嫌われたりすることを避けていないでしょうか。
同情や憐憫、共感、、、聞き手に「受け入れられやすい」話を選んでいないでしょうか。
理不尽とわかっていても止められない負の感情。
反社会的な感情。間違っているとわかっていても止められない情動。やめられない悪癖。
他人に話したら「引かれてしまって」、自分が軽蔑されたり、縁を切られたり、悪い噂になるのでは、、
と思うと口にするのが怖い。
そのような想いを抑えられない自分を、自分でも理解できない、許せない、でも、抑えられない。
その感情が自分自身にとって「よくない」ことは他人に言われなくても自分が一番よく知っている。
何より辛いのは、そのような負の感情ほど、しつこく自分に憑りついて容易に離れないこと。
唯一、それらの負の感情をも含めて語れるとしたら、同様な出来事を経験し、正も負も含めて「あるよね、そういう想い。辛いよね。私にもあったよ」としてもらえる人ではないでしょうか。
最近、偶然の出会いで傾聴した方とのお話でとても貴重な経験をさせてもらいました。
「自助の関係」の大切さを改めて感じています。
2022年08月02日 18:52