広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

長かったような、あっという間だったような10年間

小さな一歩の活動は、今月2月の「自死遺族の希望の会」で10周年を迎えます。
 
10年前、確たるものは何もないまま、「とにかく何か一歩を踏み出せることを」と、一人でスタートラインに立ったものの、道の先が何も見えず不安しかない想い。初めての分かち合いに、「誰も来ないかも、いや、来なくて当たり前」と思っていた時のことを思い出します。
 
広島教会(日本基督教団)では、牧師先生が快く分かち合い会場を無償で使用させてくださいました。
全国自死遺族連絡会の、中国地方の仲間の方々が心配して応援に来てくださいました。
また、会場を提供下さった広島教会がパンフレットを置かせてくださったり、牧師先生や教会員の方々が、口コミで広めて下さったり。
中国新聞の方から声がかかり、何度か、記事で取り上げてくださいました。
2013年1月21日 中国新聞「洗心」欄に紹介されました (chiisanaippo.com)
11月4日「洗心」欄に投稿記事が掲載されました (chiisanaippo.com)
 
おかげで、初回から多くの参加者があり、以降もなんとか10年間、毎回参加者を得て休むことなく続けていけています。
 
「一人で始めた」と思っていたのは「驕り」であり、多くの人の協力と温かい眼差しが、その時の自分に注がれていたのだ、と振り返ってみて気づきました。
 
いつまで続けていけるのかな?自問することもありますが、その答えは神様が持っているのでしょう。始めたときがそうだったように」。
 
2023年02月19日 12:09

小さな一歩活動10年。会社の社員の後方支援に感謝します

 小さな一歩の活動は2013年2月の「自死遺族の希望の会」から始まり、10周年になりました。
先日、ゲストさんとのお話の中で、「なぜこの活動を始めたのか?続けてこられたのか?」との問いかけへの答えを考えているうちに10年前のことが思い出されてきました。
 
 福祉の知識も経験も資格もない、ただの民間人である自分。「そんな自分に何ができるのだろう」をずっと模索していた日々。その中で、「ひとの話を真摯に傾聴する」ことは、それまでの仕事の経験からできるかもしれない」と思ったのでした。

 というのは、私は、大学卒業と同時に市場調査会社に入社して43年、起業した会社で30年、「市場調査業」を営んできました。
 市場調査というと、一見デジタル,数字の世界のようなイメージですが、「座談会調査」という手法があります。少人数(6~8人くらい)の人を集め、テーマに沿って、出席者の本音を丁寧に、真摯にお聞きする調査です。司会者は自分の主観や意見ははさみません。
 一介の素人である自分でも、座談会調査の長い実務経験は「傾聴」「分かち合い」に何か活かせるのではないか、という一縷の想いから、「自死遺族の希望の会」や「こころを休憩する会」の立ち上げを決意しました。
 
 また、当時お世話になっていた、広島教会の牧師先生にその想いを相談したところ、快く教会の集会室を提供してくださったことも、大きな後押しになりました。(信者でないにもかかわらず,娘の葬儀の司式をしてくださり、教会の墓地への納骨も許可してくださった先生です。)
 
 10年間には色々なことがありました。
 会社の仕事と小さな一歩の活動との両立に苦しんだことも多々ありました。
 特に8年前の6月に「こころのともしび」の活動を始めたときには、両輪のように「毎日同時進行で続けたい。」そんな無理な理想は、現在の「庚午ビル」との偶然の出会いがあったから叶ったのだと思います。
 「庚午ビル」の1階フロアは、2つの事務所が同居するに十分な面積。特に、入り口を反対側の2か所に設けることができる設計が可能で、来客の動線が交わることがないフロアプランを作ることが可能でした。これは都市部の共同ビルではとても珍しいもので、私が抱いていた理想を叶えるものでした。

 毎日「会社の事務室」と「こころのともしび」を行ったり来たりしながら続けてきた日々も今年の3月で終わります。30年間続けてきた会社を解散し、社員の次の行先を見極め、経営者としての私の役割はハッピーエンドを迎えます。
 小さな一歩の活動を無事に続けてこられたのは、私を支えてくれた多くの人々の下支えがあってのことです。
 特に、落ち着いて席につけず、サポートもろくにできない、情けない上司である私に苦情を言うこともなく(心の中では不満もたくさんあったと思いますが汗)、毎日一生懸命仕事に取り組んでくれた会社のスタッフがいてくれたからこそだと改めて思っています。

 こんな経営者に今までついてきてくれた社員のみなさん、ありがとう。
 今、こうして活動ができるのは、あなた方の静かな「後方支援」のおかげです。
 
2023年02月01日 19:06

娘がいまでも私と友人をつないでくれている

娘の大学時代の友人とは、今もつながりがあります。
先日は、遠方に住む方から「相談したいことがあって、、、」と電話があり、数十分お話をしました。
30代。仕事と育児で最も忙しく、充実している半面で、ストレスも多い中で
フルパワーで頑張る友人の近況を、懐かしく、頼もしく聞きました。
心から応援したい気持ちになりました。
話の最後に、
その友人が「しのちゃんは、私にいつも優しくしてくれました。あれほど優しい心を持った人とはその後も会ったことがないです。今でも大学時代の友人と会うたびしのちゃんとの思い出を話します」と言ってくれました。

後日、「大学時代の写真からたくさんしのちゃんの写真が出てきたので送りますね。公開してもらって構いません」と送られてきた写真は懐かしく、いつまでも色あせない娘の姿を思い出させるものでした。

本当にありがたい言葉でした。

毎年、命日には、メッセージとお花を送って下さる方が何人かいます。
学生時代の友人、遠方の親戚の方、幼馴染の家族の方。
この11年間、忘れずに心にとどめてくれている人が時空を超えていてくれていることに毎年涙が出る思いです。。

歩美がいまでも、その方々と私をつないでくれている、と思います。
 
後日、その友人から「学生時代のこんな写真が出てきました!」と送られてきました。
また一つ、一生懸命生きていた証が増えた。そんな気持ちです。
 
2022年12月16日 19:11

11年前にあってほしかった自殺未遂者支援

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 来年度から厚生労働省が開始する「自殺未遂者支援のモデル事業」について中国新聞に掲載されていました。
 記事によると、自殺未遂者が救急搬送された後、退院する際に必要なサービスにつなげるコーディネーターを都道府県の地域自殺対策推進センターに配置し、コーディネーターが当事者の悩みを傾聴しつつ、状況に応じて必要な支援につなげる、というもの。
 先月22日、広島市社会福祉協議会の会議で、広島市民病院の地域連携室ですでに同様な試みが実施されていることをお伺いしたばかり。今後、全国的な取り組みになっていく、ということでしょうか。
 
  先日の会議でのお話、今回の新聞報道。本当に必要な「自殺防止の水際対策」に、国をあげて本腰を入れてくれるようになった、という気持ちと、正直、複雑な気持ちが抑えきれませんでした。
 
 11年前、娘は自殺未遂を図り、救急病院に搬送されました。内科的処置が施された後、まだ深い眠りにいる娘を前に、深夜に「すべき処置は終わったから、家に連れて帰りなさい」と言われました。せめて目が覚めるまで病院にとどめて、精神科のケアを受けられないか、とお願いしましたが、全く受け入れられませんでした。(のちに、「希死念慮がある人をとどめていくと病院内で自殺を図るかもしれない。そんなことがあると病院が困るから。」とその晩のことを説明されました。)
 戸惑い、混乱した私たちは途方にくれました。
 命綱が切られ、見捨てられたような気持ちでした。
 自殺未遂をした娘をどうしたらいいか、明日また、同じことが起こったらどうしたらいいのだろう、、、その不安は悲しくも現実のものになりました。次の日、なすすべもなく動揺した私の言動が引き金になり、娘は衝動的に自ら命を絶ってしまいました。

 もしあの晩、何らかの精神的ケアの情報があったら、、翌日以降、誰かが手を差し伸べてくれる、という一縷の希望があったら、、、

 私が直面したことと、今回のモデル事業は内容は異なるかもしれないけど、未遂者を前に途方にくれ、不安で混乱している家族にとって「医療や精神の専門家が伴走してくれる」、一筋の希望があるのとないのでは、どれだけ違うでしょうか。

 我が家のような悲しい事実は、自死遺族の方のお話の中でも多く聞きました。今回の事業を私と同じ気持ちで見ている自死遺族がどれだけ多くいらっしゃるでしょうか。
 もともと、「小さな一歩」を立ち上げた時、私が一番やりたかったことは、まさに今回の事業そのものでした。(何の資格もない1人の素人にはとうてい無理と思いながら。。。
 
「必要な支援につなげる」行く先として「NPO法人」があがっています。
小さな一歩が、その片隅に位置していたいと思います。
「できれば、娘が生きているときにしたかった。一命をとりとめ、元気になった娘と一緒にしたかった」。。無理だとは十分わかっているのですが。
 
2022年12月06日 19:28

どんな日々でも暦は進む

今年も12月を迎え、カレンダーやスケジュールノートが店頭を飾る時期になりました。
 
この時期になると11年前の年末を思い出すことがよくあります。
6月に娘を亡くした後も、表向きは普通に社会人を装う毎日でしたが、暦の感覚が一切ありませんでした。
毎日、魂をどこかに棚上げし、目の前にある役割だけを盲目のようにこなし、帰宅すると魂が抜けたように倒れこむ毎日でした。
 
年末、何かの用事だったと思います。久しぶりに繁華街に出かけた私は、多くの人々が楽しそうに来年のカレンダーや手帳を選んでいるのを見て、不思議なものを見るような想いになりました。
「ああ、月日は流れていくんだ」
「世の中の多くの人々はこうやって来年を楽しみにして生きているんだ」
自分とは異世界の光景を見たように思えました。
「私にはもう、来月も来年もない。暗闇の中を黙々と歩いているだけ。」
 
会社の経営者としてすぐに仕事をやめるわけにいきませんでした。最低限の予定表だけは必要。
「あと1年分だけ手帳を買おう。来年の今頃はもうそれもいらなくなる」そう思いながら1冊買った記憶があります。(その頃はスマホのカレンダー機能などない時期です)
 
それが、気がついたらもう11年。
会社の仕事と小さな一歩の活動の「二足の草鞋を履く」生活で、毎日予定表を確認します。
 
でも、来年は本当に1つの役割を終えることができます。
自ら起業した会社は満30年になります。年齢的にも定年を迎える年になります。
来年、会社を解散し、社員は円満移籍。業務の一部も継承会社に譲渡することが決まりました。
小さな一歩の活動も来年で10周年になります。
 
長く、厳しい道のりだった。
険しい山道を杖を頼りに歩いてきたようにも思う。
でも、だからこそ見えた新しい景色も、たくさんある。

伴走してくれた多くの人に感謝です。
 
まだ人生は続く。来年はどんな1年になるんだろう。
いまはそう思える自分がいます。
 
2022年11月30日 18:48

己にできることの限界を痛感しながら「寄り添い続ける」

8月26日、広島県総合精神保健福祉センター主催「自殺対策人材育成研修」を受けました。
講師は東京を中心とした首都圏で「自殺企図がある人」に電話、SNS、LINEでの相談事業を行っている「特定非営利活動法人 メンタルケア協議会」の西村由紀氏です。
メンタルケア協議会 / Japanese Association of Mental Health Services (npo-jam.org)
 
恥ずかしながら、自死防止・自死遺族支援の端くれにいる私ですが、
気が付くと自己流になったり、自分の考えや受け答えの「くせ」が出てしまう。
常に学び直しを繰り返さないといけないと思っています。
 
今回の研修でも新たに気づいたこと、わかっているつもりで曖昧だったこと、頭でわかっていても
「ゆるみ」「自己流」がでていたことを改めて感じました。

以下は講義内容の一部からの編集です。
 
「死にたい」と訴える人、「死にたいと訴える」人を支える人、「死にたい人」を救えなかった人、、、本当に、聞くことがつらい。
少し話を聞いたくらいで相談者の本当の姿や深い悩みが「わかるわけがない」。でも「わかろうとする姿勢や努力が大事。」自分の想像で勝手な理解をして、早とちりし、「わかった気になってしまう」のが一番怖い。
 
何も返せる言葉がなくなって、絶句してしまうこともある。
そんな中で、無意識に「何か役に立つ情報や知識を返せないか」「『相談して救われた、楽になった』と思える言葉はないか」ともがいてしまいます。
「それを考えることに頭が回ってしまい、相手の方の本当の気持ちに耳が向けられなくなる。
悩みを解決したり、びっくりするほど役に立つ助言、相手の間違いや行動を直してあげることなどできない。
できることは、相手の辛さに寄り添って、『いまのこの時間だけでもちょっと楽になるためのお手伝いをする』程度のこと。そのためにできる限り「誠心誠意努力する」。
つまり『しっかり話を聞くことだけに集中する』。
 

以前、傾聴をした方が最後に言われたことがありました。

「今日は本当によく聞いてくださり、ありがとうございました。
気持ちが楽になりました。

でもあなたには私の気持ちはわからない。
自分の行く場所があって、自分の「席」がある、あなたには。」

忘れることができません。
2022年09月07日 19:52

こころの内側を「すべて言葉にする」むずかしさ

傾聴やカウンセリングで
「こころを開いて、胸の中の想いを言葉にする」ことは、心を開放し、整理するためにとても大事なこと、、と言われています。
事実、ゆっくりと時間をかけ、話の途中で遮られたり、話の腰を折られたり、聞き手の意見を差し込まれたりせず、自ら、胸の内にある辛さ、悲しさ、怒りの感情を、素のまま口にして語ることによって、自ら、苦しんだり葛藤していることは何か、望んでいることは何かに気づく。それは間違いではありません。
 
ただ、時々、思うことがあります。
「心の内を全てさらけだすこと」。私たちは本当にそれができているのでしょうか。

無意識に、聞き手が反感や不愉快な想いを抱かないこと、「このような感情を持つ自分」が軽蔑されたり、嫌われたりすることを避けていないでしょうか。

同情や憐憫、共感、、、聞き手に「受け入れられやすい」話を選んでいないでしょうか。
 
理不尽とわかっていても止められない負の感情。
反社会的な感情。間違っているとわかっていても止められない情動。やめられない悪癖。
他人に話したら「引かれてしまって」、自分が軽蔑されたり、縁を切られたり、悪い噂になるのでは、、
と思うと口にするのが怖い。

そのような想いを抑えられない自分を、自分でも理解できない、許せない、でも、抑えられない。
 その感情が自分自身にとって「よくない」ことは他人に言われなくても自分が一番よく知っている。
何より辛いのは、そのような負の感情ほど、しつこく自分に憑りついて容易に離れないこと。
 
唯一、それらの負の感情をも含めて語れるとしたら、同様な出来事を経験し、正も負も含めて「あるよね、そういう想い。辛いよね。私にもあったよ」としてもらえる人ではないでしょうか。

最近、偶然の出会いで傾聴した方とのお話でとても貴重な経験をさせてもらいました。
 「自助の関係」の大切さを改めて感じています。
 
2022年08月02日 18:52

神は耐えられない試練から逃れる道を示してくれる

2022年祈念式
6月21日は娘の11回目の召天祈念日(一般的には命日)でした。
今年も親族が教会(日本キリスト教団広島教会)に集まり、
娘と、その後に娘の傍らに昇っていった父母の「召天祈念式」を行いました。

式中、聖書から
「あなたがたの会った試錬で、世の常でないものはない。
神は真実である。あなたがたを耐えられないような試錬に会わせることはないばかりか、
試錬と同時に、それに耐えられるように、のがれる道も備えて下さるのである。」
(コリントの信徒への手紙)


という聖句をもとに牧師の説教に耳を傾け、その後,教会墓地で祈りを捧げ、花をたむけました。

11年前に娘を亡くした直後にこの聖句を目にして、
「本当にいつかこの試練から逃れられる日が来るのだろうか、神様はその道を示してくれるのだろうか」
と泣きながら空を見上げたことを思い出します。

「神様がある試練から逃れさせてくれても、また新しい試練がやってくる。
生きることはその繰り返し、、、、」そんな風に思うことも少なくありません。

召天祈念日に設立した「小さな一歩」の活動は9周年。10年目に入りました。
9年間で、多くの方々の「生きる試練」を知りました。

壮絶な人生をたどってきた、あるいはいまもその渦中にある方、
心の暗闇の中で身動きができない方、
恐怖に立ちすくんでいる方、
深く抜け出せない孤独の中で泣き叫んでいる方、
迷路に入り込み、出口が見つからない方、、

何もできない無力な自分を責めることもあります。
他人が手を差し伸べることができない、厳しい試練の前で呆然と立ちすくむこともあります。

私は毎朝祈ります。
「神よ。暗闇の中でさまよう人、迷路の出口が見つけられない人、悲しみの深い沼から浮かび上がれない人をあなた様がどうぞお救いください。
無力な私をもお救いください。行くべき道に光を照らし、導いてください」。
 
2022年07月01日 10:15

「忘却は『時間』から送られる最大のプレゼント』」なのか

 先日、ゲストとの雑談の中で、私が最近「物忘れ」がひどくて悩んでいる、という話をしました。

 実際、人や物の名前は当たり前。その日に食べた料理、飲まなくてはいけない薬、昨日話したこと,色々な約束やスケジュール、、、頭の中から砂がこぼれ落ちるがごとく“忘れて”いきます。

 プレイベートではさらに物忘れがひどく、家族が「認知症外来に行った方がいい」と強く勧めるほど。
 笑いを交えてお話をしていたら、ゲストさんが「米山さんは考えなくてはいけないことや覚えておかなくてはいけないことが多すぎるので、脳がパンクしないように機能して、『忘れていいことと、いけないこと』を選別しているのですよ。この働きが正常だから大丈夫。認知症の人は、この選別機能が弱まり、忘れていけないことを忘れてしまうことが問題」と助言してくれました。
 つまり「忘れる」とはその時点の私にとって「覚えておかなくてもいいこと」ということか、、、なんだか、救われた気分がしました。(物忘れの言い逃れではないですが、、)
 
 そういえば、ふと、昔、何気なく観たテレビ番組の
「忘却は,『時間』からの『最大のプレゼント』。“時がすぎて、色々な記憶を忘れる”ことで人は救われる。忘れることができず、すべてのことを覚えていたら、人は辛すぎて生きていけない。」というセリフを思い出しました。
 
 「ともしび」のゲストには「今からどうしようもないのに、忘れられない過去の出来事や『想い』に苦しんでいる」方が多くいます。
 自死遺族はもちろん、過去の取返しのつかない過ちでいまも自分や他人を責めている人も。
いま、どうにもできないと分かっているのに、、、
また、「過去の過ちを忘れないこと」を自らの戒めとしている人も。

 脳が、自分を守るために完全な働きをして、今から取返しのつかない「辛く悲しい記憶」「後悔」「罪悪感」「トラウマや恐怖」などを消してくれたら、私たちはもっと楽に生きていけるのかもしれません。。
 
 あくまで私自身のことですが、私は娘の自死のことを忘れることができないし、忘れようとも思いません。なぜなら、その辛い経験が、私を、また、「小さな一歩」の活動の礎であり、支柱であるからです。
 
2022年06月09日 10:26