広島の自助グループ 「NPO法人 小さな一歩・ネットワークひろしま」

自死遺族支援、自死(自殺)防止のための支え合い

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ブログ風 日々のつれづれ

「自殺予防ソーシャルワーク研修」の講師を続けています

 岡山県社会福祉士会主催「自殺予防ソーシャル研修」で「自死遺族への支援」の講義を2018年から承っています。
 昨年はコロナ感染の影響などで中止になり、2年ぶりのご指名となり、先週土曜日(9月2日)に久しぶりに講義をしました。
 
 全体5講義の中で、私を除く4講義の講師は立派な肩書も社会的実績もある専門家ですから、毎回、講義の1週間前くらいから緊張と不安で胸が苦しくなります。何度事前にリハーサルをしても、「うまくできるか」不安ばかり。
 ただ、ご指名くださる「岡山県社会福祉士会」は、学術的・研究的アプローチではなく、当事者ならではの経験をまじえた話を期待してのご指名と考え、できる限り自死遺族のこころの本音をお伝えしたいと、テキストにオリジナルのシナリオや、自分自身の経験したことなどを講義に加えて臨んでいます。

 特に、社会福祉という枠では語りきれない、さまざまな自死遺族の気持ちについて丁寧に伝えたいと思っています。
 例えば一般的には「自死に伴う悲嘆が1年くらいは続く。」「それ以上悲嘆が続く場合は精神医療からのケアが必要な場合もある」と言われているそうですが、私たちの元でお話を聞く方々の中には、10年以上たっても悲しい気持ちで、ときには胸がつぶれそうになる人もいる。(私も含めて)。
 悲しい気持ちがぬぐえない人を期間で区切って「精神的なケアが必要な人」と決めないでほしい、ということ。
 また、自分を責める気持ちや、自死に対する社会的な通念や偏見。根拠もないスピリチュアル的なうわさ。
 また、それを自ら恐れるため、近しい人の「自死」を言えなかったり、違う事実を伝えてしまう。そのことでさらに自らを責め、追い詰めてしまう遺族が多いこと。

 亡くなった後には色々な公的手続きもしなくてはいけないけれど、故人と一番近い関係にあり、悲しみやこころの混乱が強い時に「死別後の必要な公的手続」が立て続けに迫られると苦痛の追い打ちになる。できたら、遺族の気持ちに寄り添いつつも、少し冷静な立場で必要な手続きをサポートしてくれることが望ましい、、、など。できる限り、自分自身の経験もふまえてお話ししました。

 講義の最後に、毎回、私が亡き娘に向けたメッセージビデオを主催者の方が映写してくださいます。「何より、米山さんの気持ちが素直に伝わるから」と言って下さる思いやりに感謝です。
 
2023年09月07日 19:10

NHK「お好みワイドひろしま」で紹介されました

7月4日、NHK広島「お好みワイドひろしま」で「小さな一歩『こころのともしび」が紹介されました。
手前みそのようで恥ずかしいですが、「こころのともしび」のような「いつでも」「だれでも」「予約なし」「何かの資格や認定など不要」で想いを語りに来られる場所の存在が
必要な方に少しでも知ってもらえたら、と願います。
2023年07月11日 19:07

命日にサプライズがありました

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今日6月21日は歩美の12回目の命日です。
毎年この日は、自宅で過ごします。
この日だけは、「『自分以外の誰のため』に何かをする」ことを一切せず、
「自分のためだけ」に過ごしたいのです。
といっても特に何もしません。
 
今日は朝から強い雨が降っています。
歩美が昇天した日も雨でした。
前の日に脳死状態になり、病院で寄り添っていました。
息苦しくなり、病院の中庭でぼんやりと座っていました。
午後2時、一瞬、雨がやみ、雲の切れ目から一筋の光が差し込んでいました。その光を見上げていたら医師から、いま、心停止になったと告げられました。
「ああ、いま、光の階段を上って天に昇ったんだ」と真っ白な心で感じたのを思い出します。
 
今年も花を贈ってくださった方のおかげで、花畑の中に立っているような歩美です。
12年間、この日を忘れずに贈って下さる旧知の方や新たな友人の愛。
歩美もきっと見ていてくれると思います。

この記事を書いた後、お墓詣りに行きました。
驚くことがありました。
墓地の管理者の方から
「先ほど歩美さんのお友達、と言われる方がお花を持って来られて
『シノが夢に出てきたので、来ました』と言われていました。」
と言われました。

どなたが、どんな夢を見られたのかしら。。。
その夢の中で歩美はどんな様子でどんなことを言っていたのかしら。。。
できたら知りたい。
もしこのブログを読まれていたら、連絡がほしい、と思っています。
 
2023年06月21日 15:40

歩美がのぞむもの

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娘の大学時代の部活動の友人は、12年たったいまも、時々近況報告をしてくれたり、LINEで会話したり、
命日にお花を送ってくれたりと、つながってくれています。
ありがたいことです。

先日、墓地の場所を教えてほしい、と連絡があったので伝えたところ、
「部活動の仲間から『お墓参りをしたい』と連絡があった」とのこと。

その後、お墓から見下ろす広島の街の写真を送ってくれました。
「5年ぶりに関東から広島に来て、真っ先にお墓詣りに向かったそうです。そうさせてくれるほど、しのちゃんはみんなの大切な存在です。いまでもみんなをつないでくれています」と書き添えてくれました。

感謝、感謝。感謝です。
そうだね、広島市内を一望する小高い場所から
いつも、いつまでも、見守っていてくれるよ。みんなをつないでくれているよ。
 
2023年03月29日 17:58

帯状疱疹の痛みと折り合っていく

 いきなり私事ですが、
 1月末に帯状疱疹という皮膚病にかかってしまい、1か月半、左腕と脇腹、胸部にわたる「ピリピリヒリヒリズキズキ」した痛みとつきあっています。
例えて言うと、生け花の剣山が「大きなシートになっていて」が体にペタッと張り付いている感じ。
 症状がひどいときは、早朝痛みで目が覚め、麻薬を求めるように、這うように鎮痛剤を飲み、痛み止めクリームを塗ってなんとか半日過ごし、夕方から雷雲が近づくようにジワジワと痛みが近づいてきて、いきなり嵐。また這うように痛み止めを麻薬のように飲む、、という繰り返しでした。
 2か月近く、朝晩鎮痛剤を飲んで体は大丈夫か、、、と不安はあるのですが、「痛い、でももう少し我慢→やっぱり痛い」という葛藤に疲れて結局薬を飲む。ならば割り切って薬のお世話になってしまおう、というのが私なりの開き直りです。
 
 ひどいときは、頭の中が「イタイイタイイタイ」でいっぱい。
 そんなときは複雑な思考を必要とする脳の働きが機能しません。
言われたこと、色々な予定や計画もすぐ忘れてしまう(もの忘れは帯状疱疹のせいだけではないのだろうけど(苦笑)。
丁寧に時間をかけてひとつひとつのことを思慮する、ということもできません。
 
 この経験で改めて
 ひどい痛みに苛まれているときに、「『そのことはさておいて』前向きで建設的な思考を持ちましょう」「別のことを考えて気晴らししましょう」と言われても、できない!ということを実感しました。
体だけでなく、こころも同じですね。
 
 本当に深く辛いこころの痛みを、すぐに完治させてくれる特効薬はないし、気晴らしで消えることもないのではないか、と。

「ではどうすれば?」

あくまで、自分自身の「帯状疱疹」についてですが、「早く楽になろう」という焦りを捨てて、開き直って、「痛みも私の一部分、そのうち、気が付いたら病気の方から去って行ってくれていた、という日が来るかも」と折り合いをつけようと思っています。
2023年03月16日 17:07

長かったような、あっという間だったような10年間

小さな一歩の活動は、今月2月の「自死遺族の希望の会」で10周年を迎えます。
 
10年前、確たるものは何もないまま、「とにかく何か一歩を踏み出せることを」と、一人でスタートラインに立ったものの、道の先が何も見えず不安しかない想い。初めての分かち合いに、「誰も来ないかも、いや、来なくて当たり前」と思っていた時のことを思い出します。
 
広島教会(日本基督教団)では、牧師先生が快く分かち合い会場を無償で使用させてくださいました。
全国自死遺族連絡会の、中国地方の仲間の方々が心配して応援に来てくださいました。
また、会場を提供下さった広島教会がパンフレットを置かせてくださったり、牧師先生や教会員の方々が、口コミで広めて下さったり。
中国新聞の方から声がかかり、何度か、記事で取り上げてくださいました。
2013年1月21日 中国新聞「洗心」欄に紹介されました (chiisanaippo.com)
11月4日「洗心」欄に投稿記事が掲載されました (chiisanaippo.com)
 
おかげで、初回から多くの参加者があり、以降もなんとか10年間、毎回参加者を得て休むことなく続けていけています。
 
「一人で始めた」と思っていたのは「驕り」であり、多くの人の協力と温かい眼差しが、その時の自分に注がれていたのだ、と振り返ってみて気づきました。
 
いつまで続けていけるのかな?自問することもありますが、その答えは神様が持っているのでしょう。始めたときがそうだったように」。
 
2023年02月19日 12:09

小さな一歩活動10年。会社の社員の後方支援に感謝します

 小さな一歩の活動は2013年2月の「自死遺族の希望の会」から始まり、10周年になりました。
先日、ゲストさんとのお話の中で、「なぜこの活動を始めたのか?続けてこられたのか?」との問いかけへの答えを考えているうちに10年前のことが思い出されてきました。
 
 福祉の知識も経験も資格もない、ただの民間人である自分。「そんな自分に何ができるのだろう」をずっと模索していた日々。その中で、「ひとの話を真摯に傾聴する」ことは、それまでの仕事の経験からできるかもしれない」と思ったのでした。

 というのは、私は、大学卒業と同時に市場調査会社に入社して43年、起業した会社で30年、「市場調査業」を営んできました。
 市場調査というと、一見デジタル,数字の世界のようなイメージですが、「座談会調査」という手法があります。少人数(6~8人くらい)の人を集め、テーマに沿って、出席者の本音を丁寧に、真摯にお聞きする調査です。司会者は自分の主観や意見ははさみません。
 一介の素人である自分でも、座談会調査の長い実務経験は「傾聴」「分かち合い」に何か活かせるのではないか、という一縷の想いから、「自死遺族の希望の会」や「こころを休憩する会」の立ち上げを決意しました。
 
 また、当時お世話になっていた、広島教会の牧師先生にその想いを相談したところ、快く教会の集会室を提供してくださったことも、大きな後押しになりました。(信者でないにもかかわらず,娘の葬儀の司式をしてくださり、教会の墓地への納骨も許可してくださった先生です。)
 
 10年間には色々なことがありました。
 会社の仕事と小さな一歩の活動との両立に苦しんだことも多々ありました。
 特に8年前の6月に「こころのともしび」の活動を始めたときには、両輪のように「毎日同時進行で続けたい。」そんな無理な理想は、現在の「庚午ビル」との偶然の出会いがあったから叶ったのだと思います。
 「庚午ビル」の1階フロアは、2つの事務所が同居するに十分な面積。特に、入り口を反対側の2か所に設けることができる設計が可能で、来客の動線が交わることがないフロアプランを作ることが可能でした。これは都市部の共同ビルではとても珍しいもので、私が抱いていた理想を叶えるものでした。

 毎日「会社の事務室」と「こころのともしび」を行ったり来たりしながら続けてきた日々も今年の3月で終わります。30年間続けてきた会社を解散し、社員の次の行先を見極め、経営者としての私の役割はハッピーエンドを迎えます。
 小さな一歩の活動を無事に続けてこられたのは、私を支えてくれた多くの人々の下支えがあってのことです。
 特に、落ち着いて席につけず、サポートもろくにできない、情けない上司である私に苦情を言うこともなく(心の中では不満もたくさんあったと思いますが汗)、毎日一生懸命仕事に取り組んでくれた会社のスタッフがいてくれたからこそだと改めて思っています。

 こんな経営者に今までついてきてくれた社員のみなさん、ありがとう。
 今、こうして活動ができるのは、あなた方の静かな「後方支援」のおかげです。
 
2023年02月01日 19:06

娘がいまでも私と友人をつないでくれている

娘の大学時代の友人とは、今もつながりがあります。
先日は、遠方に住む方から「相談したいことがあって、、、」と電話があり、数十分お話をしました。
30代。仕事と育児で最も忙しく、充実している半面で、ストレスも多い中で
フルパワーで頑張る友人の近況を、懐かしく、頼もしく聞きました。
心から応援したい気持ちになりました。
話の最後に、
その友人が「しのちゃんは、私にいつも優しくしてくれました。あれほど優しい心を持った人とはその後も会ったことがないです。今でも大学時代の友人と会うたびしのちゃんとの思い出を話します」と言ってくれました。

後日、「大学時代の写真からたくさんしのちゃんの写真が出てきたので送りますね。公開してもらって構いません」と送られてきた写真は懐かしく、いつまでも色あせない娘の姿を思い出させるものでした。

本当にありがたい言葉でした。

毎年、命日には、メッセージとお花を送って下さる方が何人かいます。
学生時代の友人、遠方の親戚の方、幼馴染の家族の方。
この11年間、忘れずに心にとどめてくれている人が時空を超えていてくれていることに毎年涙が出る思いです。。

歩美がいまでも、その方々と私をつないでくれている、と思います。
 
後日、その友人から「学生時代のこんな写真が出てきました!」と送られてきました。
また一つ、一生懸命生きていた証が増えた。そんな気持ちです。
 
2022年12月16日 19:11